引込み思案の僕がビジネスマインドを助長させた。自己紹介とはちの理念「笑顔で生きる」

初めまして、はちと申します。
このページをご覧いただきありがとうございます。
僕のプロフィール簡単な生い立ちについて,
お話させていただだきます。

隠したい過去も、
恥ずかしい過去も、
全てさらけ出します。

そして、
情報発信の魅力についても
熱く語っていきます。

僕は今、アメリカのフロリダ州に住んでいます。
現地の人と英語と、たまにスペイン語
駆使して、仕事をしています。

35歳の時に赴任して、
米人の圧にも屈せず、
なんだかんだ、2年間が経ちました。

他にも副業でネットビジネスして330万程利益を生んだこともあります。

今は年商10億円以上の経営者と共に
事業を起こしたりもしているんですよね。

わかりやすく、
箇条書きで軽く僕を紹介しますね。

・週1でDisney Worldに行く。
・年1でDisney Cruiseに行く。
・休日は大好きな家族と過ごす。至福の時間。
・年商10億円以上を稼ぐ経営者さんと一緒に仕事している。
・インターネットビジネスで330万以上稼ぐ。
・知識投資が大好き。
・スポーツも好き、特に「野球」。
・趣味でランニングしている。サブ3まであと5分。
・AUDI A6を乗り回している。
・世界を知ると自分の無知が恐ろしくなり、謙虚になる。
・外から見ると日本の良さも悪さも痛感するけど、日本が好き。
・英検準1級、TOEIC900点。
・独立して、もっと稼ぎたい、もっと自分を高めたい。

まぁ、これだけ聞くと羨ましいと思うかもしれません。
ド田舎の農業一家で産まれ、
引っ込み思案であった僕が今、海外に住んでいること自体驚きです。

いろんなことにチャレンジして、
学んで、人に出会うと、自分の視野の狭さを痛感します。

一旦、自分の狭い世界から飛び出ると、

20代で数億円の純資産を持ってる人もいますし、
数十社を経営している方もおります。
1人社長で他は全部外注で、年商1億円以上、利益率50%以上なんていう方もいます。

ほんと
ビジネスの世界っておもろいんですよ。

毎日が刺激的すぎで
勉強したい意欲が止まりません。

僕もある方の情報発信を見たときに
へー、インターネット上で稼げるし、
時間も自由に使えるんだーって思って、
この世界に飛び込んできました。

ビジネスの根幹も学べますし、
その方は今では実業で3社経営しております。

インターネットビジネスで
培った力がめちゃくちゃ役立っていると
おっしゃっていましたね。

一見、インターネットビジネスって

 ・なんか胡散臭い
 ・MLM(マルチ商法)でしょ。
 ・ラクして稼げるとか、情弱狙いでしょ。
 ・もっとマジメにコツコツ稼ぐ方が素晴らしい

と思われガチなんでよね。
僕も最初はそう思っていたんですが、
現実は可能性に満ち溢れているビジネスです。

だからこそ、
「会社に依存しない生き方」
できることを
僕の発信を基に気付いていただければと思います。

僕の信念は
「笑顔で生きる」
です。

そのためには

・心が豊かである

・常に自己成長に貪欲

・余裕ももつ

ことが必要です。

このブログでは、
僕の経験を交えて
上記を実現する方法について綴っていきます。

そして、僕がこのような活動する上で、
僕の過去を共有しておくと、
ブログもTwitter 𝕏、Youtubeも
わかりやすくなります。

なので、
少しだけ僕の生い立ちを共有していきます。

目次

幼少期は本当にシャイな少年

幼少期の僕を一言で表現するなら「シャイ」
この一言です。

どれくらい酷かったって、
産まれてからは母親が抱っこしないと
泣きわめくし、人の顔見ても泣くし、

2歳くらいまでは
親戚も僕の顔を見たことが
ないって、会う度に言われます。

父親も朝早くから、
夜遅くまで働くサラリーマンだったので、
母親以外に懐かなかったんですよね。

なので、
今、大人になって、
普通に会話するだけで、
「いい子になったねぇー」って
みんなから言われますw

みんなの僕に対する評価が
低かったので、普通レベルになるだけで
褒められるって得なんすよ。

最初から期待値を上げないって
大切だなーって、
1つ学びましたね。

そんなシャイボーイは、
5歳で保育園に行き始めたのですが、
初日に事件を起こします。

大脱走

しました。

今でも覚えています。

ホント行きたくなかったんですよね。
で、チャンスをうかがってて、
お昼寝の時間に脱走しちゃいました。

お昼寝の時間って先生が部屋から
出るんですよ。
それをすかさず察知した僕は
今だ、ってそっと布団を出て、
靴履いて、園庭を駆け抜けましたね。

当時は鍵付きの柵ではなかったので、
簡単に保育園から脱走できました。

そのまま、
おじいちゃんの畑まで行って、
桃狩りして、家に帰りましたね。

田舎だったので、
幸い誘拐もされず、
大事にはならなかったですが、
しこたま怒られました。

次の日からは
抜け駆けもできず、
お迎えを待つ日々でしたね。

こんな究極のシャイだったので、
新しい友達を作ることも苦手。

遊び友達も決まっていました。
幼馴染と他数名って感じですね。

楽しみは
おじいちゃんと
桃畑に行くことでしたね。

ほんと実家の桃は美味しい。

将来は僕がマーケターとなって、
独自の販売ルートを作って、
全国各地に届けたいと本気で思ってます。

だって、
いいものはみんなに届けるべきでしょ。

これも立派な価値提供

小・中学生~いい子ちゃん優等生を演じる~

小学校にあがると、
人の数も圧倒的に増えて、
心臓バクバクでしたね。

でも、
徐々に人と絡むことにも
慣れていきました。

田舎の小学校だったので、
割とみんな中の良いクラスでしたね。

僕はもともと究極のシャイでだったので、
目立つこともせず、無難に過ごしてました。

ホントに無難にです

宿題もするし、
先生の顔色伺うし、
周りの行動に合わせるし、
運動もするし、
(ちなみに野球)

The優等生
を演じてました。

だって、怒られないし、
大人に褒めてもらえるし、
可愛がられるし、

いいことしかないでしょ。
って、気づいたんですよね。

そんな生活を送ってたので、
学年を上げるごとに
優等生認定されてましたね。

6年生の時は、
生徒会の議長もやりました。

根っからのシャイで緊張しーなので、
人前に立つような機会があると、
腹を壊して、学校休んでました。

朝、腹痛になって、トイレから出てこない。
両親ともに仕事があるから、
学校に電話して、休ませる。

これで、人前に立つ機会は回避してました。

恐らく、
一回くらいしか議長の責務を果たせてないです。

副議長に謝れないといけないっすわ。
迷惑かけたと思います。

小学校の頃には、
僕の無難に生きる礎が
出来上がっていました。

中学校に上がると、
更に人数が増えましたが、
初対面でも会話できるくらいに成長してましたね。

野球部にも入り、
生徒会にも入り、
めちゃくちゃマジメでしたね。

だからこそ、
ちょっと悪いことしてる友達が
羨ましかったんですよね。

そう、僕も悪い仲間たちと
若気の至りみたいなノリで、
お酒飲んで、たばこ吸ってみたり、
夜中に家を出て、友達の家に行ったり、
原チャをパクって、ペンキで色塗り変えて、乗り回したり、
色んな悪いことしましたね。

くっそ、真面目に生きてきたので、
めちゃくちゃ楽しかったですよね。
結構、悪いことしたのですが、
バレたのは無断で学校のプールに入ったことくらいですw

悪さをしてたのも中学校2年生までで
3年生になってからは、高校受験に的を絞りました。

僕は先生とか、尊敬する人に褒められることが
とても好きなんですよね。
承認欲求が強いんです。

兄も塾に行ってた流れで、
僕も塾に行き始めたのですが、
そこで、強烈に勉強できる奴が
いたんですよね。

別の学校の奴だったんですが、
「何コイツ、全部知ってるやん」
みたいな、感じです。

そこから
勝手にライバル心が芽生えて、
勉強に励みましたね。

結局、
そいつには勝てずでしたが、
地域ではトップの進学校で同じクラスになりました。

「勉強ってガチでやれば簡単じゃね」
って思えたんですよね。

野球に明け暮れる高校時代

勉強を頑張って入った学校なのに
野球部に入って、野球ばっかりしてました。

昭和49年に甲子園に出場した歴史ある部なので、
いわゆる、中堅のチームでした。

ほぼ休みなしで、
練習、練習、練習
してましたね。

練習だけが厳しいなら、
良かったんですが、
野球部ってやんちゃなやつらが多くて、
僕がイジラレキャラみたいな立ち位置に
なったんですよね。

ヘラヘラしてたわけじゃないんですけど、
常にニコニコしてたので、
それも気に食わなかったんでしょうね。

揶揄われることも
バカにされることも
多々あり、病みましたね。

一週間くらい学校休みました。
本気で行きたくなかったので。

承認欲求の塊の僕は
家にいても、誰も褒めてくれないし、
不登校って、カッコ悪いよな。

って、世間体をめっちゃ気にして、
一週間だけ休んで復活しました。

そこからは、
バカにしてたやつらを
見返してやるぞー。

練習、自主練を繰り返して、
なんと2年生の春からレギュラーを奪取。

めちゃくちゃ嬉しかったです。

あんな、下手クソ、センスなし。
って言っていたやつらを見返した気分でしたね。

「下手なことでも努力すれば、結果出るじゃん」
「実力つければ、黙らすこともできるじゃん」
って思えたことが大きいんですね!

理不尽なんことが多い、
部活でしたが、
辞めずに続けて良かったと
心の底から思えます。

忍耐力とか泥臭いことができるのも
高校野球のお陰ですね。

とまぁ、

高校野球に明け暮れていたので、
勿論、成績は下位から数えた方が早く、
現役の受験には失敗しました。

受かるわけないと思いつつ、
やはり、不合格ってみると気持ち落ちますね。

切り替えはすぐに出来たので、
浪人時代に勉強しまくりました。
1日10時間以上365日
もう狂気の沙汰ですよ。

家に居る時間は、
飯食べるか、寝るかの
どちらかっていう状態でした。

こんなことが出来たのも
全て「高校野球」で培った、精神力の賜物ですね。

ど田舎、高卒の両親の家計なので、
私立に行くお金なんてものはなく、
国公立一本に絞って受験した結果、

なんとか、
旧帝国大学へ無事合格できました。

旧帝国大学で感じた「夢」と「絶望」

入学できたのはいいのですが、

・秀才だらけ
・金持ちだらけ
・コミュ力高いやつらだらけ

高校まで田舎で育った
僕には、マジで、衝撃でした。

ここ同じ日本なの!?
ってくらい背中に稲妻が走ったことを覚えてます。

親が○○自動車に勤めているやら、
大学の教授しているやら、
公認会計士やら、
弁護士やら
住んでる世界が別次元です。

みんな、性格も良いし、カッコいいし、
素晴らしいんですよね。

世界って広いなーって、
いなかっぺ丸出しの感想持ちましたね。

僕は工学部に入ったので、
勉強もそれなりにしながら、
バイトやサークルで一般的に
想像するような大学生活を過ごしていました。

初めての
1人暮らし、バイト、彼女、海外旅行などなど、
人生の初がたくさん経験できた貴重な時間でしたね。

旧帝大って地域では、
めちゃくちゃチヤホヤされるんですよね。

バイト先でも重宝されるし、
合コンとかでもモテるし、

世間体を気にしてきた僕には
夢の世界でしたよ。

なんでも叶うじゃんみたいな。
こりゃ、人生の勝ち組だなとか
本気で思ってましたよ。

そんな中、
一番の衝撃は
親の年収を知った時です。

実家が裕福ではなかったので、
授業料と生活費を奨学金で補ってたのですが、
申請書類に親の年収を報告する欄があり、
親の年収を知ったんですよ。

毎日朝から晩まで働いて、

年収800万

えっ!?ちょっと待てよ。
それだけしかないのか。
って、目を疑いましたよ。
平均年収よりはもらってるけど、
毎朝7時には家を出て、深夜12時頃帰宅するくらい
馬車馬のように働いても、年収1,000万っていかないんだって。

こりゃー、
大手企業に行かないとダメだな
って完全に思いましたね。

当時の僕には
日本式教育のレールを
進むことしか考えがなく、
「稼ぐ=サラリーマン」
という、思考回路でしたね。

理系には推薦って制度がありまして、
ガッツリ就職活動しなくても、
名のある企業に就職できちゃうんですよ。

特に旧帝国大学とか有名私立大学は
大企業への推薦だらけです。

僕もその恩恵に乗っかって、
大企業へ就職しました。

大企業に就職

大企業に就職したし、
将来は安泰だーって確信してました。

周りは名だたる大学の同期、上司ばかり、
みんな仕事はできるし、人間性も素晴らしいし、
僕自身もエンジニアとして働ける嬉しさもありました。

「エンジニアって響きが、かっけー」じゃないですか。

おーー、ここで頑張って出世するぞ!

って、
気合十分でがむしゃらにやりました。

その成果もあり、
80人程いた新入社員の中で優秀な成績を収めることができたんですよね。
上司の指導が秀逸で、魅せ方が良かったお陰です。

今考えると、
評価する側の意図をしっかりと捉えて、
そこに訴求する技術が優れてましたね。

昇級もして、給料も上がって、
結婚もして、子供も産まれて、
順風満帆でした。

でも、なんか物足りなかったんですよね。
それに、漠然とした不安もありました。

このままずーっと、サラリーマンかとか、
会社潰れたら何も残らないじゃんとか、
管理職になるほど、帰り遅いじゃんとか、

さらにですよ、
知り合いとかには
ネットビジネスで会社に依存しない生き方をしてる人がいたり、
ネットを駆使して、経営者として成功してる人がいたり。

はっきり言って、
僕もネットビジネスって

信用できない、
胡散臭い、
怪しい、

って、ガチで思ってました。

サラリーマンじゃない生き方を知る

僕のネットビジネスとの出会いは
大学の先輩のメルマガに登録したことが始まりです。

その方は、物販で爆稼ぎしてました。

3ヵ月で400万稼いだり、
中国輸入で数千万稼いだり、

圧倒的な結果を出されていました。

素直に、えっスゴ!
と心の声が漏れましたね。

気になって気になって
しょーがなかったので、

ちょくに連絡して、
「やり方教えてください」
って直訴したんですよね。

返答が
「1年で50万でコンサルするよ」

50万!!
めっちゃ高いやん。
小遣いなくなるやんって躊躇したんですが、

ボーナス払いじゃーっと
初めての自己投資を行いました。

ネットビジネス初心者だったので、
最初は何も分からず、てんやわんやで、
収益は生まれないわ、
仕入れ額で赤字だわ
で、ノイローゼになりかけました。

ホント最初は騙されてたって感覚でしたね。

それでも、
周りの他のコンサル生が結果を出しているので
信じてやり続けましたね。

そしたら、
半年経過したくらいから、
5万の利益、翌月は7万と
徐々に利益を上げることが
できるようになったんですよね。

結果、1年間で300万ほど利益をだせました。

これで完全にブレイクスルー。

ネットビジネスの可能性を存分に感じ、
自分でも稼げるじゃんって、
思えたら、本業でも行動が変化したんですよね。

もっと、違う世界を見たい

やってた業務にも慣れてきて、
違う刺激を欲してたんですよね。

人生初のアメリカ居住

行動力が増した僕は
英語もできないくせに
海外駐在を猛アピールしました。

英語ができないのに

駐在できるのは俺しかいない―って
テンションでアピールしまくってましたね。

そしたらですよ、

海外駐在を勝ちとったどー!

マジで嬉しかったです。

正に「言霊」
言い続けたらこそ実現した未来です。
自分で切り開いた「道」って感じでしたね。

女の子との初デート前夜の
ワクワク感
ドキドキ感
ソワソワ感
と共に米国へ降り立ったのですが、

やはり、
英語がタドタドしいと
そりゃ、苦労もしました。

僕の英語レベルは
渡米前:TOEIC480点(2021年6月)

会話が成り立つはずもなく、
「Body language」と「絵」で
何とか過ごしていました。

会社は日系企業なので、
ジャパングリッシュ(日本人英語)も
辛抱強く聞いてくれるのですが、

一たび、外に出ると
地獄絵図

レストランで

「サラダ、プリーズ」
って言っても

「Ha??What??」
って即答されてました。

「サ・ラ・ダ、please」
って言っても

「Ha??What??」
って再び、即答されてました。

しまいには
マネージャーまで出てきて、
対応されることになり、
無事に注文ができました。

今は慣れましたが、
最初は本当に
恥ずかしさと悔しさで
顔がリンゴよりも、真っ赤っか。

それから、
英語の勉強をしまくって、
1年後にはそれなりの会話ができるようになりましたね。

少なくても、
レストランでの注文は困ってないです。

正確な英語レベルは分からないですが、
英検準1級の過去問で9割とれるくらいのレベルまで成長

環境が人を育てる

これを、身をもって体感しました。

人間て案外どこでも順応できるんじゃん。
頭で考えてるより、行動した方が早い。

アメリカ駐在になって、
一番の気づきでしたね。

理想の上司の目が魚なの目になってた衝撃

アメリカ生活では、
ドンドン刺激的な起こります。

一番の衝撃は

ショットガンを向けられたこと

マジで、ちびりそうになりました。
人って、あまりの恐怖だと動き止まりますね。

あ、道端でいきなり向けられたわけじゃないですよ。

ゴルフしてる時の話なんですが、
アメリカのゴルフ場って、
コースの隣に普通に家があるすよ。

僕の渾身のティーショットが
スライスしまくって民家へGo!

ファー。

そんで、

ゴルフカートを乗り捨て、
民家の方へ近づきながら、
ボールを探してたら、

あ、あった。
見つけだぞ。

家の庭にポツンと。

いざ、入って、回収しようとした時、

いきなり屈強なスキンヘッドの男が

Don’t move!

と、一声。

と、同時に、

ショットガンが僕の方へ向いてました。

不法侵入と思われて、
家族を守るためだったんですよね。

事情を説明したら、
納得してもらえて、
ボールも回収できました。

ああー、
ホンット生きてて良かった。

銃社会の怖さを痛感しました。
少しでもキレさせたら、終わるなと。

ちょっと、
話がそれたので、戻します。

アメリカ駐在になってから、
会社生活で最も衝撃的な出来事が起きます。

出張で日本から尊敬する上司が来る情報を聞いて、
何年振りだろーって、ワクワクしてたんですよね。

いざ、アメリカでご対面ってなったんですが、

あれ、

目が魚の目になってるぞ。。。

あんな、
活気に満ち溢れていたのに
なんか、雰囲気違う。

そう、
疲れ切ってる感がハンパなかったんです。

過去のイケイケの頃を知っているので、
物凄い衝撃が走ったことを覚えています。

これが、
会社で頑張った先の姿か、、、

もう、悲しさと絶望でしたね。

ああー、やっぱり、

学歴社会なんだ。
中間管理職って魅力ねー。
お金もらっても、憧れねー。

って、想いがフツフツと湧いてきて、

サラリーマンで一生終えるの嫌だ―。

これが、僕の心の底にある本心だ!

と確信しました。

僕の目指す生き方

過去にインターネットビジネスを
かじっていたこともあったので、
その道で稼げる力をつけようと決心。

でも、
正直、物販て稼げるけど、
目的が「お金稼ぎ」だけになって、虚しいんだよな。

それよりも、

「人の役に立ちたい」
「実家の美味しい桃をたくさんの人に届けたい」

こちらの気持ちが強く、
情報発信一択だなと。

やると決めたら、行動あるのみ。

よし、𝕏やるぞ!

って始めたものの、

インプ伸びない
フォロワー増えない
いいね、リプこない

こんな散々な状態でした。

そんな中、
ふと、TL欄見てると
この文章なんか読んじゃう。
惹きつけられちゃう。

そんな方に出会ったんですよ。

そしたら、
実業でも結果出てるし、
情報発信でも結果出てるし、
ビジネスにめっちゃ詳しいし、

気になり過ぎて、その方の
LINEも
ブログも
YouTubeも
全て潜りました。

んで、

はっきり分かりました。
この人に教わろっとって。

完全な直感ですが、
経験値やべーし、
波長が合うし、
論理的だし、

運良く、
コンサルの募集案内があったので、
秒で申し込みました。

車が買えるくらいの値段でしたが、
迷いなんてなかったですね。

それからは、
ビジネス知識はドンドン増えるわ。
ライティング力はバンバン上がるわ。
経営者との方との繋がりもジャンジャン増えるわ。

サラリーマンのみしていた時とは
見える景色が全然違います。

僕自身、

・年商10億円以上を稼ぐ経営者さんとビジネス展開

・ネットビジネスで330万円以上稼ぐ

・経営者のみ知る裏情報を入手

など、

想像していなかったことが、現実になってます。

自分で稼げる力は
選択肢も広げるし、
自分の可能性も広げてくれます

それに、
雇われの身だと
一生できないと諦めてしまうことを
諦めずに挑戦しようと思えます。

僕は雇われの身で終わるのでなく、
自分で稼ぐ力をつけて、
成長し続けられる人をたくさん増やしたい。

そうすれば、

「笑顔で生きる」

ことができる人が必ず増えます。

そしたら、みんな幸せになります。

幸せって周りに伝播します。
先ずは自分が「心から幸せ」って、
思える人生にすることからですね。

人って死ぬときに

「より多くの時間を大好きな人と一緒に過ごせなかったこと」
「行きたいところに行かなかったこと」
「やりたいことをやらなかったこと」
「仕事ばかりしてきたこと」

を後悔するのだそうです。

笑ってみんなに見送られるような
人生を歩む人をたくさん輩出したい。

自分で稼ぐ力をつけることができれば、

実現可能です。

シャイで、引っ込み思案で、サラリーマン思考だった
僕でも、ここまで変われたので、誰でも変われます。

熱く語ってきましたが、
これが僕が情報発信とネットビジネスに対しての想いです。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

あ、そうだ。

感想やリプいただけると嬉しいです。
なんか僕からプレゼントあるかもです。

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なんでもいいです。

それではまた会いましょう。

 

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